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70件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[71] Re: 放送大学出願しました

投稿者: ジャッキー 投稿日:2021年 3月19日(金)14時56分7秒   通報   返信・引用 > No.70[元記事へ]

> > 社会的関係の集中的な表現としてある
>
> いやー、正に我が意を得たりという言い回しで、感心しました。

僕も「おー」と思いました。さすが花田清輝ですね。しかもこれを文章ではなく対談で言っているというのもすごい。パッと思いついた言い回しなのか、すでに出来上がっていたものなのか。


> 人格とは、関係性や思考をごたまぜにして、観察されるその場で「表現」として結実する対象
> 森サン(83)の発言は「社会的関係の集中的な表現」として、その周囲の人たちの「ノリ」も含めて、批判され、再考するに値する

一個人の内面に集約して批判する、というのが従来、そして今回さかんに行われたことで、そうじゃないだろうよ、ということですよね。もうちょっと事は複雑で。
このあたり真剣に、精確に考えていったらものすごく面白いはずなんですが…。



森達也もまさに、今僕が読んでいる『A3』で言うならば、おそらく「麻原という一個人の内面に集約させて語るのは無理がある」という立場で、だからこそ「問題を麻原という一個人の内面に集約させた上で、その内面と向き合わずに無視し、勝手にすべてを済ませようとしている」という司法のやり方が許せずに憤っています。ちょっとややこしい書き方をしてしまいましたが、「あいつの内面が悪い!」だけで終わらせるわりに、その人の内面をのぞき込もうとはしない(すでに定まった結論を動かさない)、という感じですね。

本当は森達也さんは、「いやもっと事態は複雑だ」と言いたいのだし、「人間が矛盾するのは当たり前だ」とはっきり書いていたりもします。「どの顔もその人であり、一貫した人格などない」みたいなことも。(主に麻原について。)

『私たちは~』のほうにも興味がわきました。

http://ozakit.o.oo7.jp/




[70] Re: 放送大学出願しました

投稿者: 間借り人 投稿日:2021年 3月16日(火)22時07分56秒   通報   返信・引用 > No.69[元記事へ]

> 社会的関係の集中的な表現としてある

いやー、正に我が意を得たりという言い回しで、感心しました。

森サン(83)問題にからめて「確固たる人格などない」と言ってしまうと、責任主体をぼやかしてしまうと批判されそうなのですが、それは(少なくとも私は)本意ではない。「表現」という言葉遣いを利用させてもらえれば、人格とは、関係性や思考をごたまぜにして、観察されるその場で「表現」として結実する対象なのだということです。

だからよくある「(自らの表現について)誤解を生じたなら謝罪する」というような物言いはおかしいし、森サン(83)の発言は「社会的関係の集中的な表現」として、その周囲の人たちの「ノリ」も含めて、批判され、再考するに値するのだと思います。……ジャッキーさんの「なかよしの思想」の話とはだいぶ離れてしまいましたが。

森達也はたびたび「ドキュメンタリーは客観的でなどあり得ない」ということをたびたび繰り返していますが、上のような発想にもリンクしているかもしれません。森達也は自分の視界に映った「表現」としての人格に常にフォーカスしていると感じます。『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』という本が読みかけなのですが、生命科学についての本なのに、それを語る森達也自身と、科学者の「人格」にピントが合ってるんですよね。森達也の本は小説じゃないのに、小説を読んでいるような気になります。森達也の文章はどれもおもしろいです。肝心の映画の方を観てないのですが……。



[69] Re: 放送大学出願しました

投稿者: ジャッキー 投稿日:2021年 3月16日(火)02時09分17秒   通報   返信・引用 > No.68[元記事へ]

涙が出るくらいすばらしいタイトル! ありがとうございます(誰目線?)。
後輩ができて嬉しい限りです(先輩目線)。
しかし! 僕の友達で放送大学に落ちたやつもいるのでまだ油断はできません。不合格通知書、見たときは笑いましたね。酒がおいしかったです。書類不備だったそうです。



いま、友人に勧められて今さら(?)森サン(といっても森達也)の『A3』を読んでおりまして、さきほど上巻を終えました。そこにこんな記述があります。

※「>」は引用、「>>」は引用内引用(森サンによる引用)


>……時おり思う。まるで鏡のような男だと。信者は麻原の本体を見ていたのではなく、麻原という鏡に映る自分を見ていたかのようだ。だからこそ信者によって、その印象はばらばらで決して収束しない。

>>「私の性格というものは作られたものである。作られたものとはどういうことかというと、それは演技によって作られたものである。本質的には私の性格は存在しない。よって厳しいフォームを形成することもできれば優しいフォームを形成することもできる」
>>
>> これはある説法の中で、自信の正確を評して語ったくだりである。素顔をまったく知らない者なら「そんな戯言を」と一蹴できるが、私には強い納得と同時に響いてしまう。現実に見てきた姿がそうで、周りにいる弟子や状況によって面白いように変わり、方法論ばかりかそれこそ振る舞いや言葉遣いまで変わるから、一つの固定的な人物像で捉えようとすると本当に混乱する。
>>『オウムはなぜ暴走したか。』早坂武禮


 森サン(83)も、きっとこういうところがあるように思います。インナーサークルの天才。よく「人垂らし」なんて言われたりもしますが、会う人によって、あるいはその場によって言うことやること、たたずまい等が違うというのが森サン(83)であると、複数の文献等で見聞きしております。

 ちなみに最近読んだ本だと関根弘という詩人による評伝『花田清輝 二十世紀の孤独者』に通底する花田観も、ちょっとそれにかすっています。花田は「わたし」というものがどこにも存在していない、というところからスタートしているのだ、と関根は言います。(より正確にいえば、花田自身がそのように書いていたことを関根は強調しています。)
 コアにあるのは『復興期の精神』「群論-ガロア-」(1942年)の末尾にある以下の文章。

>緑いろの毒蛇の皮のついている小さなナイフを魔女から貰わなくとも、すでに魂は関係それ自身になり、肉体はものそれ自身になり、心臓は犬にくれてやった私ではないか。(否、もはや「私」という「人間」はいないのである。)
(講談社文庫『復興期の精神』から)

 その他にも随所にそれにまつわる記述はあるのですが、個人的に好きなのは花田と埴谷雄高とのかみ合わない(と関根は考えている)対談です。


>>花田 実体概念は古いな。機能概念でないと……それが平野君の言っていることではないか。
>>埴谷 新しい、古はいいが、ヒットラーにあるものは多かれ少なかれ強烈な簒奪者にはすべて発見されるね。
>>花田 だからその非歴史的なとらえ方を僕は古いと言っているわけだ。やはり歴史的な段階でそれぞれちがって来るので、それを今日的な観点から見れば、すべて機能概念としてとらえて行っていいというわけだ。
>>埴谷 もちろん今日的な概念から見ていいわけだ。
>>花田 そうなるとすべてのその実体はなくなってしまう。
>>埴谷 いやあるよ。歴史の底流にあるそれはいまだに向うから吾々をとらえる。
>>花田 実体ではないのだ。
>>埴谷 では何かね。
>>花田 社会的関係の集中的な表現としてあるだけだ。
(『花田清輝 二十世紀の孤独者』P145-146から孫引き)


と、このように花田が(なんと戦前から!)「関係」という言葉を使っているのが僕には非常に興味深かったです。なんというか僕の言いそうなことだなと。

で、このような「関係」ということは、きっと森サンと無関係ではない。森サンという存在は、ひょっとしたら麻原にも結びつくかも知れないし、偉大なる花田清輝にも結びつくかもしれない。

だから僕は森サンのことが気になるんだなあ、とおもったのでございます。
「社会的関係の集中的な表現」という機能概念として見たら面白いのではなかろうか、と。



>「大概、ノリで形作られる人格というもの」
これとはちょっと違った趣向になったかもしれませんが、僕もけっこうそのあたりのことは考えているのかもしれません。
っていうか僕なりにいえば「人格などない」ということになるのかも。人格なんて、大概はノリでその都度決まるんだから、確固たる人格なぞというものを認めること自体、近代の誤謬なのでは!てきな。




放送大学のテキストは、良いものは本当に良いです。授業も良いものは(見つけるのはやや大変ですが)良いです。ちなみに学習センターの図書館などに行くと教科書が閲覧できるはずなので、そこでパラパラと見て履修科目を決めることもできます。また、読みたい教科書を取り寄せて借りることも、もちろん教科書だけ買うこともできます。
でも、やっぱり履修してレポート送信して試験受けて、っていうゲーム性が何よりの魅力かもしれません。



> こんにちは。昨晩は守庚申チャット参加しながら、何書くか思いつかず、無言で立ち去る幽霊のような振る舞いになってしまい申し訳ありません。森さんは「インナーサークルの天才」という理解をしていて、たしかに発言はダメダメだよなと思うのですが、個人的にはそのこと自体よりも「大概、ノリで形作られる人格というもの」のことについてもっと考えたいと思っていて、まだ全然頭の中で煮詰められていません。
>
> ところで、ついに放送大学に出願しました。手続きに問題なければ4月から大学生に戻ります。まずは数学1科目で様子見ですが、哲学史や自然科学諸々やっていきたいところです。早く入学金振り込んでテキスト読みたい!

http://ozakit.o.oo7.jp/



[68] 放送大学出願しました

投稿者: 間借り人 投稿日:2021年 3月14日(日)15時38分25秒   通報   返信・引用

こんにちは。昨晩は守庚申チャット参加しながら、何書くか思いつかず、無言で立ち去る幽霊のような振る舞いになってしまい申し訳ありません。森さんは「インナーサークルの天才」という理解をしていて、たしかに発言はダメダメだよなと思うのですが、個人的にはそのこと自体よりも「大概、ノリで形作られる人格というもの」のことについてもっと考えたいと思っていて、まだ全然頭の中で煮詰められていません。

ところで、ついに放送大学に出願しました。手続きに問題なければ4月から大学生に戻ります。まずは数学1科目で様子見ですが、哲学史や自然科学諸々やっていきたいところです。早く入学金振り込んでテキスト読みたい!



[67] Re: 森さん

投稿者: ジャッキー 投稿日:2021年 3月 2日(火)16時54分37秒   通報   返信・引用 > No.66[元記事へ]

どうも名古屋の森博嗣、ジャッキーです。


> 森博嗣も、少し向きが違いますけど、人工と自然と直線と曲線と十字架の話をしてましたね。
> 「直角は自然になく、人によって作られたものだ。もっとも大きな発明は十字架(神)だろう」みたいなことを。
単純に、それに影響を受けた文章だったかもしれませんね。(2021/02/26の記事)
読んだというよりは、なかや氏から聞いたのかも。

曲線については楳図かずお先生も似たようなことを仰っておりました。『わたしは真悟』についてだったかな。いろんなところからパクって書いてます。

微積に限らず数学というものは、神の所業をすべて直線に置き換えてしまえ、ということだし、その応用であるコンピュータというのは、まさに直線(デジタル)のみですべてを表現してしまう、ということなんでしょう。そうそう、アナログとデジタルのことを書くの忘れてた。書き加えておこうかしら。

↑みたいな話をちらっと(あまり偏りすぎない程度に)、今教えている高校生にしたら、それなりに感心していたので、見どころあるなあーと思っております。育て育て。


連続と非連続、ということでもありますね。人間の叡智とは「切り分ける」ということですので、「非連続=デジタル」にどんどん置き換えられていきます。
その中で僕たちはどうやって体温を保っていったらいいのか? ということでもあります…。


> ちなみに森繋がりで言うと「政治家の友達はいません。政治家になるような人格が好きではないので」みたいなことも言ってました。差別~~。
> 若い女性の方の「彼らは変わらなかった」と言ってるのはそりゃそうでしょうと思いますね。「人は人の影響を受けず、自分も人の影響を受けることはできない」は人間失格でしたっけ?

↑この引用部はわからないです。いちおう人間失格の本文を「変」とか「影響」で検索してみたけど、出てこず。

人を変える変えられない、という話でいくと、やはり「関係は変えられる」と思わないとやってられないですし、「いつの間にか勝手に変わっている」くらいのことはあるような気がするし、「きっかけ(の一要素)となる」くらいのことはあるだろうと、やはり思いはしますね。
「変えようと思って変えられるのは、洗脳のような手口でしかありえない」とは思います。

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[66] 森さん

投稿者: なかや 投稿日:2021年 2月28日(日)11時34分4秒   通報   返信・引用

森博嗣も、少し向きが違いますけど、人工と自然と直線と曲線と十字架の話をしてましたね。
「直角は自然になく、人によって作られたものだ。もっとも大きな発明は十字架(神)だろう」みたいなことを。
ちなみに森繋がりで言うと「政治家の友達はいません。政治家になるような人格が好きではないので」みたいなことも言ってました。差別~~。
若い女性の方の「彼らは変わらなかった」と言ってるのはそりゃそうでしょうと思いますね。「人は人の影響を受けず、自分も人の影響を受けることはできない」は人間失格でしたっけ?



[65] Re: 森サン

投稿者: ジャッキー 投稿日:2021年 2月24日(水)01時35分59秒   通報   返信・引用

やー!ありがたい!森サンの話は本当に、「仲良くやろうや」で笑ってもらえるのがいちばん嬉しいですね。よかった。僕も笑いながら書いてました。

若い人たちは「どうでもいい」なんじゃないかなと思います。「よく知らない、なんだって同じじゃない?」とか。
あと、「問題があるから辞める」というのが、あんまりピンとこないのかも。

僕の予想だと、たぶん今後「立場」というものがどんどん意味を持たなくなっていきます。同時に「肩書き」も。
「天皇」すら終身ではなくなり、総理大臣もこないだ「自主的に」辞めた。
なんとか委員会の会長がどうの、それを辞めるのなんの、というのも、「どうでもよくない?」というノリになっていく。
若い世代はもうとっくにそうなってるんじゃないかしら。



[64] あと

投稿者: makoto 投稿日:2021年 2月23日(火)21時08分52秒   通報   返信・引用

おと「森喜朗の仲良くやろうや」笑いました笑笑



[63] 森サン

投稿者: oishi 投稿日:2021年 2月23日(火)18時37分19秒   通報   返信・引用

ジャッキーさんの話よみました。
こういう思想を展開できるのはおもしろいと思います。僕はこう考えられない。

https://www.asahi.com/articles/ASP2G7798P2GUZPS002.html
若い人の方が森サン辞めなくていいというアンケート結果が出たのは、
より仲良しを重視する人たちが増えているからですかね。

あんなおじいさんいじめるのは可哀想、ということなのかとも思います。



[62] Re: (無題)

投稿者: oishi 投稿日:2021年 2月12日(金)13時13分3秒   通報   返信・引用 > No.61[元記事へ]

そうなんですね。僕の高校も先生は干渉的で押し付けてくる感じで好きではなかったけど、ここまではなかったなあと。
新設校は既設とは違うんだと先生が言ったと書いてあり、伝統的な進学高や商業工業はまた文化が違うんでしょうね~。

> > 全然関係ないんですが、愛知県は管理教育で有名なんですか?最近こういう記事を見つけてびっくりしました。
> > https://izime.hatenadiary.org/entry/20070315/p1
>
>
> 昔はそうだったみたいで、とくに三河地方は男子全員丸刈り!みたいなのが普通にあったそうです。(この記事にある東郷高校は尾張ですが、もうちょっと行くと三河って感じのところです。)
> 僕の頃の名古屋市内はそういう感じがほとんどなかったと思いますが、他地方よりは厳しかったのかも。三河はさらに厳しかったと思います。
>
> まだこの記事ちゃんと全文読めていないので、読んだらもしかしたら、なんか書くかも!


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