> 本題と逸れますが最近リベラルが力を失ってるのは皆んなが後ろめたさを感じなくなってるからでしょうか。余裕がなくなったのか、そういうふうに価値観がかわりつつあるのか。後ろめたくても何かで釣り合い取れればいいということかもしれません。
ごめんなさいな、ちょうど4/29くらいから落ち込みと忙しさでBBSに出てくることができませんでした。メールで通知はくるので、読んではおりました。お返事できず申し訳ない。
「リベラルが力を失ってるのは後ろめたさを感じなくなってるから」説、なるほどという感じです。あるいは、後ろめたさを感じたときに「発散する先」が多様化していて、各々は大した勢力じゃなくなっている、みたいなことでもあるかも、と思いました。
お肉を食べたり、殺生するのが後ろめたい、と思ったら、今はもう「ヴィーガン」という考え方が当たり前にあって、それをすれば良いので、わざわざ「リベラル」と分類されるような思想を持つ必要はなくて、「じゃあヴィーガンレストランに行くわね」で済む、というような。
「ヴィーガンレストランに行く」「ヴィーガンショップでものを買う」というのはリベラル寄りの行為ではありますが、リベラル的な政治活動(投票含む)にその人が参加するかというと、また別な気がします。ヴィーガン食を好みながら自民党に投票する人もいるのではないかとか。その辺りはもう、分けて考えるというか、そもそも関係があると思っていなさそうな気さえします。勝手に。
リベラル的な行為をしたかったら、別に世の中を変えなくてもそれはできるよね、じゃあ別に世の中を変えなくても、自分がヴィーガンショップに行けばいいよね、みたいな。特に若い世代は、「私は私で生きていくので、別に法律が変わらなくても問題はない」と思っているのではないか。「同性同士が結婚できなくてもいいよ、別に結婚とかしないし。自分が自由に生きていけばいいだけだから」とか……?(これはジャッキーさん寄りの考え方、だからそう思うのもあるかも。)
「結婚したい」から「結婚できない」のが問題になるけど、「別に結婚にはこだわらない」となれば、「世の中を変えよう!」とはならない。(むしろ「結婚したい」の時点で保守的。)
となるとリベラルはある程度達成されたから、もう用無しってことでもあったりして……?
「(結婚した方がいいと言われるが)結婚したいとは思えない」とか「(結婚した方がいいのはわかっているが)結婚できない」は「後ろめたさ」に繋がるけど、「別にどうでもいい」「そんなん勝手だろ」と思えれば、後ろめたくはない。さらにそれが多数派になってくれば、「当たり前」になる。
後ろめたさを感じないのは、「別にそれで当たり前だし、一つの考え方として認められるから、別に後ろめたくはないよね」かもしれなくて、だとしたらやっぱりリベラルはすでにまあまあ勝っていて、だから「まだリベラルとか言ってんの? もう古いよそれ」なのかもしれません。
↑だいぶ思いついたまま適当に書いてしまいました。
PayPayの件ありがとうございました! 少しずつ生きていけます。